さようなら夫、こんにちは未来~サレ妻、母ひとり子3人わが家の暮らし再構築期~
こんにちは。
3兄弟子育て中のみんとです。
これまでプロフィールでは少しだけ触れてきましたが、
ここから少しずつ、わが家に起きた出来事をを連載記事として綴っていきます。
自分自身が予想もしなかったような出来事に直面し、
それでも日々の暮らしを守りながら前に進もうとする中で、
「同じような境遇の誰かの、少しでも心の支えになれたら」
という思いが強くなりました。
そんな気持ちを込めて、このシリーズを始めます。

この記事では、シリーズ2回目からの続きの様子
夫の不倫の証拠集めをしながらも、子どもの前では変わらない家族の振舞いをしていた日々を綴っています。
気持ちは冷め切っていたけど、動くのは今じゃない
離婚を切り出され、不倫に気づき、それでも私はすぐには動かんかった。
夫を追及したり、すぐに白黒ハッキリしたい気持ちはあったけど、「今じゃない」と心のどこかで感じていた。
夫との話し合いは、離婚を告げられてからの半年間ででたったの3回だけ。
その後、夫は何の行動も起こさない。毎日同じ家に帰って来て今まで通りに過ごしている。
夫に対して、私の心はもう冷めきっていた。
でも、まだ子どもが小さい。今すぐ離婚して生活が変わることは、現実的ではないと思った。
それでも――夫の裏切りに気づきながら、何もせず過ごすには心がざわつく。
だから私は、密かに「いつでも自立できるように」準備をはじめた。
そして、「戦う時が来たら、冷静に動けるように」計画を立てるようになっていた。
夫の主張は「あなたとの関係を保つのが難しい」「精神的に限界」
夫はこう言った。
「あなたと生活することが精神的にストレス」
「仕事が限界。辞めて地元に戻りたい」
小さな子どもが3人いる家庭で、「ストレスだから離婚したい」と言われても――。
それが通るなら、世の中で離婚していない家庭はどれだけ残るのだろう。
私は伝えた。
「不満があるなら話し合うべきだし、歩み寄る努力をお互いにしないと、子どもたちを育てていくのは無理だよ。」
でも夫は言う。
「自分はもう頑張れない。歩み寄れる状態じゃない。このままだと壊れてしまう。」
夫は、少しメンタルが弱め。
だけど、これまで鬱になったことはなかった。
私はずっと、そんな夫に配慮してきた。
夫が「やってくれてること」を見るようにして、自分のしてほしいことを押し付けてはいけないと、ストレスは自分の中で処理してきた。
円満に過ごすために、私なりに努力してきたつもりだった。
でも夫はこう言い放った。
「あなたがストレスを感じてなかったのは、俺が我慢してたからだ。」
……はあ?
「もう無理」「鬱になりそう」と口では言うけれど、夫はその頃、4か月後のフルマラソンに向けて毎日ランニングをしていた。飲み会にも出かけていた。
そんな人間が、ほんとうに「壊れそう」なのか?
本当に鬱や心を病んでツライ思いをしている人たちに失礼やとは思わないのか。
「仕事を辞めたい」は結婚前からの口癖
夫は公務員。
大変なこともあると思う。でも、その分の安定や保障もある。
それなのに――。
夫は結婚前から、**定期的に「仕事辞めたい」**を繰り返していた。
だいたい3年に1回ペース。オリンピックよりも早いペースで言うなよ。
結婚前にも一度転職しようとしたけれど、失敗して続ける道を選んだのは夫自身。
「家族のためなら頑張れる」と言っていたのに、繰り返される「辞めたい」発言。
どんな仕事についても、自分が変わらなければ同じことの繰り返し。
キャパオーバーになるまで我慢して、爆発する。
でも、その根本には「自分を変える努力をしていない」ことがあると思う。
私はこう伝えた。
「職場では言いにくいこともあるかもしれないけど、家族なら違う。
まずは私には、ため込まず話をしてほしい」
でも、その言葉に返事はなかった。
夫自身に変わろうとする努力は見られなかった。
体調不良とワンオペ、そして夫の「地元帰省」
離婚を切り出されてから4か月後――。
冬になり、夫が仕事で不在のタイミングで、長男がインフルエンザに感染。
そして三男も感染。私は、ワンオペでなんとか看病しました。
私自身は感染せず、次男も無事だった。
やっと夫が仕事から帰宅した。でも、その後夫は――予定通り**「転職活動」と称して地元へ帰省**した。
帰省前、夫は「転職の本」を私に見せつけるようにリビングで読んでいた。
あの人は、私に信じてもらいたいときだけ、やたら理路整然としたLINEを送ってくる。
転職活動を説明するときもそうだった。
そして地元の隣県へ行きながら、実家の親には会わなかった。
私がそれを後から指摘すると、
「実家に行くとは言ってない」
また“言った言わない”の言い争い。
「介護状態の父親のが心配」「忙しい母を助けたい」と言っていたのは、結局言い訳だった。
次はコロナ感染。夫はまた不在。
その1週間後、今度は三男が風邪をひき、私も体調を崩した。
検査をすると私と三男がコロナに感染。タイミングが良いのか悪いのか、夫はまた仕事で数日不在。
初めてのコロナ感染で身体はしんどかった。
でも、長男と次男が協力してくれて、なんとか乗り切ることができた。
体調不良でもこどもと協力したり、いろんなサービスを使えば乗り切ることがわかった。
肝心な時には助けてくれない夫。
私を心配した義母が夫へ労わってあげなさいよとLINEをするが
俺も体調悪かった。なんて聞いてるか知らんけど、やることはやってます!
義母を言い訳に帰省するのに、大切にしているとは思えない。
探偵への依頼を決心
離婚を告げられてから半年後、初めて夫の姉と電話で話した。
義母から状況を聞いていた姉が、心配して連絡をくれたのだ。
姉の言葉と態度に背中を押され、私はようやく決心がついた。
探偵に依頼しよう。
離婚するか再構築するか――まだ決まっていなかった。
でも、自分と子どもを守るためには「強い証拠」が必要だと気づいた。
最終勧告、そして“嘘の勤務”
探偵に依頼を決めた私は、夫にこう伝えた。
「離婚の理由が本当に夫婦関係だけなら、地元周辺での単身赴任は避けてほしい。」
心のどこかでは、仲が良かった頃の夫に戻ってほしい気持ちが残っていたのかもしれない。
夫の返事は
「関係修復は難しい。幼馴染は関係ない。」
自分でも、証拠や情報を少しでも集めようと動き始めた。
その後、夫の行動が少し変わった。
毎週末の“買い物外出”がなくなり、私への最低限の挨拶もするように。
「もしかして不倫関係が終わったのかな?」
私は少しだけ希望を抱いてしまった。
でも――1カ月後の“仕事で4泊5日間不在”のはずの日。
普段ならまだ出勤前の時間 朝7時前、夫の姿はなかった。
そしてその1週間後、子どもたちが楽しみにしていたキャンプ。
驚くことに、キャンプは夫自ら提案し予約もしていた。
キャンプ中の夫は相変わらず無表情。
帰宅すると、普段は数日かけて片付けるキャンプ道具を一気に片付けて、「買い物に行ってくる」と出ていった。
その後、「先週が充実してたから、キャンプがつまらない」と不倫相手とのやりとりを見つけた。
先週とは、夫は勤務で不在だったはずの期間。
でも、実際にはそんな勤務などなかった。
夫の友人(同じ職場)に確認して、事実が判明した。
ついに探偵依頼へ
ゴールデンウィーク直前。
次に不倫相手と会うならゴールデンウィークだと私は踏んでいた。
私は子どもを連れて実家に帰ると伝えると、夫が言ってきた。
「俺も行った方がいい? 行かんでいいなら、自分の実家へ帰るけど?」
……どの口が言うんや。
私の母には、「話し合いにならない」「ヒステリックだ」とLINEしておきながら。
今さら、私の実家に来るつもりなんて。
夫が「父の様子を見るため帰る」と言った瞬間、私は急いで探偵に調査を依頼した。
子どもたちの前では、何もなかったように夫のいる日常を続けることは段々心が死んでいくような気持でした。それでも、黙って過ごした日々は、その先自分と子どもを守るための準備になっています。
しんどい時は自分を甘やかす、ご褒美をあげる
家事育児は頑張りすぎなくていい
毎日なんとか生活しているだけで、充分えらいんです。
このシリーズでは、
サレ妻としての日々・家庭再構築の過程・母ひとり子3人の暮らしのリアルを
これから少しずつ書いていきます。
どうか、どこかの誰かの力になりますように。