【サレ妻の記録⑪】夫の開き直り、不安定な同居生活、そして義母の暴走

さようなら夫、こんにちは未来

さようなら夫、こんにちは未来~サレ妻母ひとり子3人わが家の暮らし再構築期~

こんにちは。

3兄弟子育て中のみんとです。

これまでプロフィールでは少しだけ触れてきましたが、

ここから少しずつ、わが家に起きた出来事をを連載記事として綴っていきます。

自分自身が予想もしなかったような出来事に直面し、

それでも日々の暮らしを守りながら前に進もうとする中で、

「同じような境遇の誰かの、少しでも心の支えになれたら」

という思いが強くなりました。

そんな気持ちを込めて、このシリーズを始めます。

夫は「離婚できないなら同居継続!」と意地を張るようになりました。更に、夫だけでなく義母の行動も暴走し始めて、私のストレスの大きな原因になっていきました。

開き直る夫と家庭内別居の決断

話し合いの数日後、不倫がバレた夫は廃人のように暗くなるだろうと想像していましたが、開き直ったのか明るく振舞い、私に対しても普通に挨拶をしてくるのです。

夫の不倫旅行をリアルタイムで把握し、それから約1カ月後に夫へ追及する日まで我慢を続けました。話し合い後は家族4人で前を向けると期待していましたが、現実は違い、私のメンタルはギリギリの状態に近づいていました。

そこで、ストレス軽減と家庭内別居の事実を作るために、平日の夕飯作りをやめると夫へLINEしました。家庭内別居はこどもに不安を与えるため迷いましたが、もともと食事時間がずれていたため気付かれにくいと判断。さらに「帰宅前に食べるか、こどもが寝てから食べるように」と伝えました。

この対応が不利にならないか不安で、弁護士・離婚カウンセラー・ChatGPTにまで相談しながら文面を整えました。加えて、平日は夫の洗濯物も扱わないことを決めました。

少しずつ家を整理する

この提案の翌日、さすがの無神経夫も私には挨拶をせず暗い雰囲気でしたが、こどもには普段通り声をかけていました。

今後の生活の見通しは立っていませんでしたが、少しずつ家の整理を進めようと決意。リビングに飾っていた夫が写った家族写真を片付け、結婚関連の飾りも撤去しました。別居や離婚に至った時、急な変化でこどもたちが不安にならないようにするためです。

温厚な義母の暴走が始まる

この頃、義姉から状況を聞いた義母の暴走が始まります。

息子の不倫が発覚し裁判沙汰になるかもしれないと耳にした義母は、息子と連絡を取ろうとします。しかし、義母と話をしたくないであろう夫は、今は忙しいと理由をつけて電話には対応せずLINEを返信するだけ。

私はその状況を義姉から連絡を受けますが、リアルタイムでの夫は自宅でごろごろとスマホをいじっているのです。

ついには、息子と連絡がとれない義母は直接顔を見て話せば分かることもある!と言い出し、3日後に600㎞離れたわが家まで来ると言い出しだと連絡が入ります。

「お姉ちゃんからお義母さんが心配していると連絡がきたよ。心配かけてるんやから、早く連絡したら?」

私が夫に声を掛けますが、もちろん無視です。

無言の状況を指摘すると

「裁判で弁護士通して話せばいいんじゃないんですか」

夫はこんなことを言い出しました。

義母との直接対決

いよいよ義母のと突撃は避けられない状況になってきました。

夫よりで冷静に話を出来ない義母との話し合いなんて、私の精神が崩壊してしまう。何より、こども達が異変を察してしまうリスクが高すぎる。

この1年間私が最も大切にしていたこどもへの影響を最小限にすることが、一気に崩壊するリスクがある。

最終手段と思い、直接義母へ電話しました。

しかし、義母は一方的で自分が息子と直接会って話したいことばかり主張。私の説明や配慮してほしいことは、全く聞き入れてくれません。

「今はお義母さんと冷静に話せる状況じゃないんです。こどもたち何かを察して気付いてしまうことが一番困るんです。来てもらっても私とこどもは会えません。」

私も抑えきれず泣きながら伝えました。

結婚して10年間、遠方の距離ですが年に1回は帰省、会わない期間も連絡を取り、良好な嫁姑関係を築いていました。夫からの離婚要求以降も、義母とは連絡を取り合い相談していました。

私の気持ちも配慮してくれるはず、と思っていました。

「そうやってこども、こどもって言ってるけど、大事なのはあなたたち2人のことでしょ!!!」

語気を荒げて自分の主張ばかり押し通しす義母の様子に、今まで築き上げた信頼関係が一気に崩れる感覚に陥りました。

義母に距離を置く決意

義母との電話を終えると、すぐに母と妹に連絡をしました。

翌日、母が義母に電話をかけ私は会える状況ではないと説得してくれました。

義母は、孫である私の長男に対して「10歳なのだから離婚について理解させるべきだ」と言いました。また、実母が義母を試すような質問をすると、とっさに息子であり夫を庇う発言をしました。

そして、暴走は止まる様子がありません。

夫の離婚要求以、、義母に相談してきました。その間義母がとった行動は、冷たい息子には強いことは何も言えず私に対して「様子を見てね」と繰り返すだけ。

「夫と義母とは根本的に理解し合えない。関わると自分が疲弊する」と気づいた私は、義母と距離を置くことを決めました。

そして、義母訪問に備えてこどもを連れて実家へ避難することにしました。

避難と義母の執念

夫には「こどもへの影響を考えて実家に帰る」と伝えると、顔文字付きの明るいLINEが返ってきました。義母との対話を避ける口実に私を使うのでしょう。

しかし、義母は訪問を強行します。夫からは「義母用にホテルを予約したから家には来ない」との連絡がありましたが、念の為私は予定通り避難を実行しました。

避難当日、義姉から義母が「せっかく行くんだから孫に会わないとね。突撃しようかな。」と言っていると連絡が入り、避難を決めてよかったと再確認しました。

さらに義母から「ホテルに泊まります。帰る前には子ども達に会いたいと思っているけど」とLINEが届きました。

私は「突然会えば長男は違和感を持つ。精神面や発達への影響を考えて慎重にしている。今の義母とは会えない」と再度伝えました。

その返事は「わかりました」の一言だけでした。

義母の暴走の終息、そして…

義母とのやり取りは「わかりました」という一言で終わりましたが、私の心は全く落ち着きませんでした。
結局、この一件をきっかけに「義母とは距離を置く」と決め、実家へ避難したことで直接対峙することはなく一時的に嵐は過ぎ去ったのです。

しかし、夫との同居生活はまだ続きます。
家庭内別居という形を取りながらも、同じ屋根の下で過ごす毎日は、精神的に消耗するものでした。
この「不安定な同居生活」が続いた先に、いよいよ調停という新たなステージに進むことになります。

次回は、その調停が始まるまでの同居生活についてお話ししたいと思います。

このシリーズでは、

サレ妻としての日々・家庭再構築の過程・母ひとり子3人の暮らしのリアルを

これから少しずつ書いていきます。

どうか、どこかの誰かの力になりますように。

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